存在証明

最近複合的要素が重なって毎日気持ちが乗らない日々。必死で自分を鼓舞しているけれど、さすがに一人になると辛い。疎外感が半端ない。

幸福とはなんであろうか、人生の意義とは。そんなことをぼんやり考えてしまう。
幸福や不幸の感覚は人によって違う。傍からみれば自分は恵まれてると見えるのかもしれない。それでも自分の理想との乖離が大きければ大きいほど、一人苦しむ。

ライフハック、知的生活、ポジティブ・シンキング。ネットでそんな記事を読みあさり、実践し取り組もうと思っても毎晩一人になるとなんとも言えない絶望感・焦燥感がある。良い思いがあればあるほど、未来が見えなくなると不安に押しつぶされそうになる。

人は誰しも必要とされ認めて欲しいという欲望がある。「必要とされない」「認められない」そんなことが続くと絶望しかない。人は一人では生きて行けないので、そんな相対的な評価が存在証明となる。でも現実も知っている。例え自分がいなくとも世の中は変わらない。

ネガティブになっても良いことが無いのは分かっている。楽しそうにしているほうがいいのに、そんな気持ちになれない。 だからと言ってどんなに精神的に疲れていても私は「自殺しよう」なんて思わない。でも孤独感がひどい。

そんな心境だと周りの人が輝いて見える。有意義に時間を使い、人生を謳歌しているように見える。本当はそんな人でも悩みがない人なんていないはずなのに。

過去の経験から、こういう落ち込んだテンションの時は焦っても仕方がないことはわかってる。全ては時間が解決してくれる。そして強制的に焦燥感を遮断するには本でもいい、映画でもいい、仕事でもいい、何か我を忘れて熱中すること。焦燥感が湧き出る余地がないほどのめり込めば、「人生の意義とは」などという答えのない疑問を持つことなんてないだろう。

環境の変化は慣れるまで相応の時間がかかる。誰しもそうだろう。だから今の自分はある意味では「当たり前」の心境なのかもしれない。

天性の楽観的性格をもつ人は、なぜ今自分がこんなにテンションダウンなのかわからないだろう。どうすればいいのか、そんなことをこの半月ずっと考えている。
思いついた改善法としては、一人で生きていく覚悟(常に誰かが身近にいるとは限らない。もしそんな人がいてくれればそれは幸運だ)、これからの人生がどんなふうであれそれが自分の人生なんだ、と受け入れる覚悟なのかなと思う。そして根拠不要の自信。自分を卑下せず他人に媚びないこと。他人より下手に出ると苦しくなるから。自尊心を大切に。

今のモヤモヤした気分をこらえていると、逆に精神的に余計なストレスとなってしまってる気がしたので、淡々と書き連ねてみた。誰に伝えるでもなく、誰に同情してほしいわけでもなく。吐き出しさらけ出すことによって、苦しみ、悲しみ、後悔、くやしさを体外へ発散させる。

現状を受け入れることで、痛みを味わい耐性ができ免疫ができる。現実の目の前にある「変化」から目をそむけていると、いつまで経っても変わらないからね。

まぁ今までもいろんなことがあったけれど何とか今日まで生きているので、今度もなんとかなるでしょう。まだたくさん「運」は残ってるはず。さあリスタートしよう。なるようになるはず。いままで強く想ったことは、案外現実になってきたからね。