14年契約してきたPHSを解約したので総括してみる 前編

97年から契約してきたPHSを解約することになった。97年当時はDDIPocketと契約をしたのだが、途中WILLCOMに代わり、果ては会社更生の流れからSoftBank傘下となってしまった。W-ZERO3が登場した95年から数年は盛り上がったがそこがピークだったのかもしれない。 iPhoneの登場と共に完全にスマートフォンとしてのPHSは過去の物となってしまった。

思い返せば学生時代だった97年、PHSを選んだのはカシオ端末特有の機能であった「(*)テレネーム」があったからだ。無料でショートメッセージ(のようなもの)が送れるということで人気があった。当時はPメール1通が10円した時代に無料でメッセージを送れることは魅力であった。
(*)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%A0

そんなところからスタートしたPHS生活は当初はエリアが狭いこと、基地局の容量が足りず何度もかけないと繋がらないという状態。携帯電話への接続も当初は出来なかったように思う。ただし携帯よりも全般的に安く、端末も現代基準でいってもコンパクト、かつ高音質であり待受時間の長さも特筆に値するものだった。(ちなみに今夏最新機種docomoP-06Cで580時間、当時のPHSは1500時間という機種も!)当初は繋がらないPHSであったが、かなり早い段階で通常使用に問題がないほどエリアは充実していった。

メール放題(定額)サービスも他社に先駆けて登場、メールが定額になり音声通信に関しても携帯に遜色ない状況。PHSは音声端末としては、パナソニックのKX-HV210で頂点を極めた気がする。この機種は名機でした。(数年後、購入時よりも高額でヤフオクで落札されました。)

社会人となり住環境からネットはエアエッジの常時接続で行うことになり、データカード型のPHSを追加購入。この頃は通信費に毎月1万円近く払っていたような気もする・・・

その後、通称「味ぽん」こと「エアエッジフォン」が登場。のちに「京ぽん」へ機種変。1台で通話とデータ通信を行えるということで2契約を1契約にまとめる。今でいうテザリング機能である。このあたりで通信費用は5000円くらいになったか。32Kくらいの今では信じられない速度でネットをしてました。ただし繋ぎ放題定額料金というのは魅力でした。

この辺の機種あたりから、メールシステムの変更からかPHS端末からのメール送受信に異常に時間がかかり常用は困難なレベルになってきた。(送受信をする度に、ダイヤルアップ⇒接続の確認⇒送信⇒遮断と1通送るのに1分近くかかることに)端末も魅力的なものが発売されない状況。対して携帯は一気にブレイクし、多種多様のモデルが発売され周りの友人も携帯ユーザーが増えてきた。docomoは503とか504の時代。データ通信端末としてのPHSは変わらず魅力的であるが、音声やメールその他は携帯遅れを取り始める。このあたりでdocomomovaを契約し2台体制となった。すぐにメールと通話はdocomoがメインに。PHSはデータ通信をこなすだけの端末となっていく。

引越とともにネットは専用回線で行うようになり、PHSの32K通信の役目は終わる。ただし長年使った愛着のある電話番号でありiモードよりもフルブラウザーでのネットが魅力と思え、W-ZERO3【es】へ機種変更。不安定なWindowsMobileでネットをしたり、動画をみたり、アプリをインストールしカスタマイズ。当時はタッチパネルで物理キーボードがつくZERO3は一躍大人気機種となっていた。音声通信+メールは携帯、パケット系の通信は ZERO3と明確に役割が分かれることとなる。結局imodeを使いこなすことはなく、携帯のパケット定額を申し込んだのもパケホダブルが出てからであった。

途中W-ZERO3【es】を破損させたので、後継機種のAdvancedW-ZERO3【es】をヤフオクで購入、SIMを入れ替えて今日まで使うことに。そして思えば2年前、WILLCOMへの忠誠心(?)を揺るがす出来事が起こる。

長くなったので、続きは次エントリーにて。