埋められる距離感と埋められない距離感

人との距離感って不思議だなと思う。
どれだけ長い時間一緒に過ごした人よりも、一度会った(話した)だけで一気に距離を縮められる人がいる。最終的にどれだけ心を開けるか、リラックスして過ごせるかというのは、ほんの一瞬で決まってるような気がする。週末友人と久しぶりに会ってそんなことを思った。

同性の友人にも恋人となる人にも言えることで。

頻繁に連絡したから。長い時間会っていたから。そういうことで縮まる距離というものも当然あるんだけれど、圧倒的にフィットする人とそこまでに至らない人とでは、最終的に近づける距離が全く違う。どれだけ間隔が開いても、連絡をとらなくても全くそんな空気が漂わず自然な感じになれる人もいる。うまく表現できないけれど、「何も知らず初めてエヴァに乗ったのにシンクロ率が圧倒的に高い」みたいな。

性別だったり育った環境や年齢、その他全く共通する部分がなくても、何か心の周波数というか波長が合う人って極稀にいるんだよね。だから深く知る前から「(なんとなく)惹かれる」ものを感じて特別に輝いて見える。プラトンならば、「自分の所有していないものや自分がそれではないもの、自分に欠けているもの、それこそが欲望と愛の対象」となるんだけれど、それでもどこか同調する何かがないとダメなんだと思う。言葉としては矛盾してるけれど、違うのに似てる。きっと「好き」という感情だけでは恋愛は成り立たない、そう感じた。

恥も外聞も関係なく自分をさらけ出して、尚且つ心地良い「居場所」と双方が感じあえる人なんてそうそういない。だから、お互いを深く知る前でも「直感」でこの人…と思える人はすごく貴重だなと思う。そこまで辿り着けるのは「運命」なーんてロマンチックに思う。それを知っているから自分は刹那的な恋愛、一時の寂しさを埋めるだけのお付き合いなんて無意味なんじゃないかな、と思ってしまう。

前に書いたことに繋がるのだけれど。埋められる距離感と埋められない距離感は何が違うのかって明確に表現できない。

考え過ぎかな…